ふうのひとりごと

僕が生きてる証明に

ホルモン開始

今日(2024.4.23)ホルモン注射の1本目を自己注射で打った。

今の気持ちを、ただ正直に残しておこうと思う。

 

「よろこび」「楽しみ」「不安」「後悔」

いろんな感情がぐるぐるしている。

自分で決めたことなのに、打ち終わって涙が止まらない。

 

本当にこの選択でよかったのか。

「ボーイッシュな女性」として生きられないのか。

母さん、「娘」でいられなくてごめん。

 

自分で「選択した」ことではあるけど、決して「望んだ」ことじゃない。

割り当てられた身体を変えずに生きられるのならそうしたかった。

どうして「普通に」生きられないのか。

ずっと考えてるし、ずっと自分を責め続けてる。

きっとこれから先もこの思いが消えることはないんだろう。

その思いを一生背負っていく「覚悟」

トランスとして生きていく「覚悟」

いろんなものを諦める「覚悟」

差別や偏見の目にさらされる「覚悟」

多くの人が持つ必要のない「覚悟」を持って生きていかなくちゃいけない。

 

僕は強くないから、きっといっぱい傷つき、その度に自分の選択を後悔して、でも割り当てられた身体じゃ生きていけないと再認識するんだろう。

半永久的に続けなきゃいけないこの行為を、その度にいろんな思いに支配されながら続けていくんだろう。

僕が僕であるために

 

「生まれ変わるならまた私だね」

っていう歌詞を聞く度に思う。

生まれ変わるのだとすれば、もう自分には生まれ変わりたくない。

割り当てられた身体、ジェンダーに疑問を抱くことなく生きていける人生を歩みたい。

自分のSOGIを人生の中心に置かなくていい人生を歩んでみたい。

自分の人生を選択することで親に謝らせない/謝らなくていい人生を歩みたい。

 

そんなことを言っても、きっと僕の人生はまだ続いてしまうから。

その苦しみや辛さを引き受けて生きていかなくちゃいけないから。

でも、トランスだから/異性愛者じゃないから「かわいそう」だと思われたくない。

マジョリティと同じようにハッピーな瞬間だってたくさんある。

僕は僕のクィアな人生を生きていく。

クィアだから出会えた大切な人。

クィアだから知ることができた人の痛み。

クィアだからこその経験が教えてくれたこと。

「普通じゃない」自分を生きていく。

 

まだクィアであることにプライドを持てるほど強くはないけど、胸を張って生きていけるぐらい強くなりたい。

そんな日が来るのだろうか。来るといいな。